ラブホ屋さんのホテル業界研究ブログ

ラブホ屋さんの雑記ブログ

ラブホの話や人生の話など様々な事を書く雑記ブログです(不定期更新)

【人生振り返り】御三家の落ちこぼれがラブホの会社で5年勤続出来て生きやすくなった話

今回は、御三家の落ちこぼれの私が学生時代のラブホでのバイトをきっかけにラブホに就職し、5年勤続するまでの話です。
前半の苦い落ちこぼれ話から後半のラブホの話までカオスですが、まぁ世の中にはこういう人間もいるんだという事でよろしくお願いします。
注意:この自分語り、約3000文字あります笑

 

①中学受験で東京の御三家だけ受かってしまう

地元千葉の中学を目指していたのですが合格判定がいつまでも芳しくなく、塾の先生曰く「入試問題と相性が合いそうだから」という理由で行った事もない東京の御三家を受ける事が小6の秋に決まりました。
決めた時期が時期なので文化祭に足を運ぶ事もなく、過去問をひたすら解く日々を送りました。入試の日に初めて出身中高に行ったんですが、都会ってすごいな…と思ったのを覚えています。
結果、市川に落ち、本命の渋幕にも二次まで落ち、東邦大東邦は受験代の節約で受けず、何故か東京の御三家だけ受かりました。塾の先生、見抜いてたわ…。

入学後に中高の同級生から聞いた所、受けた学校は全勝という人が多く、入学前から基礎能力の差が歴然です。
入学熱意に関しても、ハチマキして夏合宿に臨んだりとか日曜特訓に行っていたとかでもなく受けてみたら受かってしまっただけなのでお察しです。思い返してみるとこの時点で失敗フラグ立ってますね…。

 

②物事を何も続けられなかった中高時代

入学したものの当たり前ですが授業に付いて行けず、最初の定期テストから呼び出されました。
部活も周りに付いていけず1年未満で退部。唯一続いたのは幽霊部員でも籍を置かせてくれる文化部だけです。
授業も全然分からず、鬱と睡眠障害で日中起きていられなかった事もあり基本寝てました。社会科目だけ昔からなんとなく関心があったのでそれなりに頑張りましたが際立って成績が良い訳でもなく、他科目はギリギリ進級を許してもらえるレベルでした。卒業式数日前にこのままでは卒業できませんと呼び出され、補習を受けて卒業させてもらいました。あれ、この人最初も最後も呼び出し受けてる・・・

 

あと、親の経済力とそれに付随する文化的資本も全然違いました。出身中高に通わせる父親の平均年収が週刊なんちゃらに書いてありましたが普通に半分以下でした!わはは
まぁ親の職業が有名になるような子の親がすごすぎるだけで私みたいな一般家庭はいたのかもしれませんが、当時は過敏になってましたね。ちなみに私の学費は祖父の遺族年金から出ていました。
生まれも普通で特に能力もなく、頑張っても周りのすごい人たちには勝てんわな…と無気力ぎみになり、自己喪失感が強まっていきました。こうして育った根深い逆高校コンプを高校卒業後10年は引きずる訳です。

③相変わらずな大学時代、ラブホでバイトを始める

そんな感じだったので大学受験は当然落ち、中高の同級生が全然行かない大学に進学しました。競争の土俵から降りられて少し安心したのが正直な所です。
ただ、勉強を頑張れなかった代償として自己喪失感は続きます。無気力な自分の関心を探るために他大学の授業も受けたりゼミやサークルも色々入ってみたりしましたがやはり長続きしない事ばかりでした。

大学でも相変わらずな感じでしたが、自分の関心を探るためにタウンワークを眺めていた所、ラブホのバイトって面白いのでは…?と思い、即応募してバイトを始めた事が解決の糸口になりました。
関心を持ったきっかけは街にラブホがあるリンダキューブというRPGが好きだったのもあります。いいですよ、回転ベッド!
非日常に関わるのが楽しく、すごく難しい仕事内容でもなく、あと、ようやく何者かになれた気がしました。周りの人でラブホで働いてる人はいなかったので。

バイトではフロントでアルメックス(ラブホ業界大手)のシステムを操作して、小窓から鍵を渡すおばちゃんの役をやってました。
あとは簡単なフードを調理して部屋に持って行ったり、レンタルのコスプレを持って行ったりですね。コスプレは洗濯機で洗って干してました。

交代の人が遅刻して終電を逃し部屋に1人で泊まったり、長時間延長付いてて内線にも出ないのでマスターキーで扉開けて生存確認したり、AVの撮影があったり、三が日が暇すぎて世の中の流れを体感したり…たまにトラブルがありつつも働いていて楽しかったです。
ちなみにお店が暇だった時はお店にあった季刊レジャーホテル(ラブホ業界誌)を読んでました。今も会社に届いたものを読んでます。綜合ユニコムさんいつも楽しい誌面をありがとうございます。
このラブホのバイトは大学卒業まで約2年続けました。未だにラブなので定期的にエゴサして感想をチェックしてます。昭和ラブホテルは維持費が大変なのでみんな写真撮影に行ってお金を落としてください。

④最初の就職で失敗、半年で退職してラブホに転職

ラブホのバイトが楽しかったあたりで人生の方向転換がうまく行きかけてたんですが、就活の時に紹介で受けて人事の印象が良かった頭脳労働系の会社に入ってしまいました。この会社で色々あり…詳細は省きますが、落ちこぼれの心をヨイショするのが上手かったです。ラブホでは楽しく働けた事を思い出し、半年で退職してラブホに転職しました。

ラブホに社員として入社してからはフロントやルーム清掃など運営全般に関わる事になりました。
3人以上で使用した部屋に使用済み避妊具が晒し首のように何個も置かれてたり、長時間延長付いてて内線にも出ないのでマスターキーで扉開けたら窓から脱走してたり、避妊具の在庫が3000個くらい入った段ボールを棚から落として拾い集める事になったり、、あと、やっぱり三が日は暇だった笑
ところで私が働いたラブホ2つでは部屋清掃の事を「部屋を作る」って呼んでたんですが、この表現はラブホ特有かもしれないです。一般のホテルだと作ってすぐ売るっていう意識は芽生えないですもんね。

現在は本部に異動し、勤続5年を迎えました。もちろん下っ端から始まりましたが、今では自分の名刺を持って外部の人と会ったり一人出張に出たりする機会も出てきました。
ラブホ業界へのコロナの影響は本部でもよく話題に上がります。例えば、まん防中のお酒の売り上げが伸びたり、車で行くような店舗の売上が伸びたりですね。車で行くような店舗ってコロナ前は車離れで今後売り上げが伸びないと業界誌でも言われていたので興味深い現象です。日常的にこういった会話が出来るのはやはり面白いなと思います。

⑤勤続5年を迎えて

現代において同じ会社に留まる事は必ずしも大事な事ではありませんが、物事を何も続けられなかった自分が関心を持って5年勤続できた事は大きな自信になりました。もちろん辞めたくなる事もありましたがラブホの上にも5年。関心を持つ事ができれば私でも物事を続けられるのではないかという自己理解が進みました。あとは職場の人間関係が良かった事もありますが今回の主題とは離れそうなので一旦置いておきます。(いつもありがとうございます)


学生の頃は自信のなさから人間関係を壊してしまう事も多々ありましたが、最近は中高の同期とも話せるようになってきました。中高の同期は社会的に立派な職業に就いている事が多いですが、こちらの世界に関心を持ってくれる事も多く感謝です。
やっと人生が生きやすくなってきました。昔は諦めていた色んな事にもまた取り組んでみようと思います。

 

2022/12/18:表現を一部訂正(後で見返すと見つかるのはなんでだろうw)、アイキャッチ用の画像で良いものが見つからなかったのでとりあえず業務用コンドームの箱の写真を下に貼った

業務用コンドームの箱