2023年秋、樺太に住んでいた先祖について調査した時の話を書きます。先祖調査の方法も記載しているのでご関心があれば参考にどうぞ。
・先祖調査をしようと思ったきっかけ
いきなり重いのですが、ここ数年でリアル知人の2-30代が数名亡くなり、人間の死について関心を持った事がきっかけです。
幼少期から親族の集まりで「先祖が樺太で銭湯を営んでいた」という事は聞いており、元々関心自体は持っていました。ただ、それ以上何かを追求するほどではなかったです。
ただ、ここ数年で自分に近い人間が相次いで亡くなり、「人間の死」というテーマに直面しました。そのような中で、以前聞いていた先祖の話をふと思い出し、「既に亡くなった人間がどのように人生を送っていたのか」という事を探求する旅に出ようと考えました。
・戸籍謄本を取得する
ネットでファミリーヒストリーの事を調べた所、戸籍謄本の話がヒットしました。まずは取った方が良いだろうなと思い、自分の戸籍謄本→親の戸籍謄本→祖父母の戸籍謄本・・・と世代を遡っていく事にしました。
なお、請求は役所に行かなくとも郵送で取得が可能です。その場合、請求書は自治体のwebサイトから印刷、身分証や関係性を示す書類はコピーを同封、代金は郵便小為替です。あと、請求理由に「先祖調査のため」と記載しておくと、戸籍係の方がその自治体で取得できる他の戸籍謄本の存在を教えてくれたりします。ありがたい。
また、住民票を置いている自治体に戸籍があるとは限らないので注意です。まずは取得できる戸籍謄本から取得し、取得した戸籍謄本に載っている以前の戸籍の自治体に請求…の流れが良いと思います。私はこのような流れで先祖を遡って行った所、オホーツク海にたどり着きました。
オホーツク海沿岸・北海道紋別郡から取り寄せた戸籍謄本(正確に言えば改製原戸籍)に、私の曾祖父の戸籍が元々樺太の大泊に存在した事が記載されていました!現在ではサハリン州・コルサコフに都市名が変わっているようです。どこに住んでいたか番地まで確認できたので、次は何をしていたかを確認する作業に移ります。
・関東で下調べ
自力で戸籍謄本や国立国会図書館等々で調べたのですが進捗が乏しく、某大学で歴史研究をしている高校同期から調べ方を伝授してもらいました。御三家チート技です。
~武蔵大学図書館~
探していた蔵書が武蔵大学の図書館にある事を知り、武蔵大学の図書館に行く事にしました。とはいっても学生ではないので、地元の図書館に紹介状(レファレンス)を書いてもらい、あらかじめ予約して訪問しました。
武蔵大学図書館で確認した書物には私の曾祖母の父親の事が載っていました。今も昔も複雑な家庭なので名字がコロコロ変わっており、見つけるのに一苦労でした。ただ、目的の曾祖父の事は記載がなかったので調査はまだまだ続きます。
・樺太への玄関口、稚内へ
高校同期から別の技「北海道立図書館で調べる」を伝授してもらっていたので、北の大地に足を運ぶ事にしました。また、せっかくなのでサハリンの姿を眺める事ができる…かもしれない稚内観光とセットにし、夫婦旅行としました。とはいっても調査中は一人で行動させてもらいました笑(感謝)
まずは稚内から行きます。稚内までの一般的な交通手段としては、稚内空港に降り立つか、札幌等々から特急宗谷に乗ってJR稚内駅まで行くか、もしくは車です。電車旅が好きなので今回は札幌から特急に乗りました。所要時間は約6時間です。
JR稚内駅に到着した後、現在のサハリンを臨むために稚内駅から宗谷岬までバスで向かいました。
あとは、JR稚内駅近くに国際旅客ターミナルという名前のフェリーターミナルがあるとの事で見てきました。ここからサハリンに出発していたようですが、現在は諸事情で運航中止となっているため放置されてしまっています。
・北海道立図書館の北方資料室へ
次は北海道立図書館です。最寄りはJR大麻駅で、徒歩で向かいました。
北海道立図書館の北方資料館、蔵書がたくさんあり興味深かったです。樺太関係の資料を書庫から片っ端から出してもらって読み、曾祖父が樺太・大泊で銭湯を営んでいたという記載を見つけました!
大泊の銭湯は10か所以上あったようです。複雑な家庭ゆえ私の名字とは異なっていますが、どれかしらが私の曾祖父です。えっへん。
・先祖調査を終えて
目的通りですが、既に亡くなった人間が確かに樺太という遠く離れた土地で生活し、銭湯を営んでいた事実を実感できた事が一番の収穫でした。私は人間がどう生き、どう死んでいくかという事の追求に関心があるかもしれません。ラブホの仕事も今の仕事もそういう要素があります。
あとは、唐突に発達障害の話題を混ぜますが「ASDの血筋」である事もなんとなく実感できて良かったです。私は自閉スペクトラム症(ASD)の確定診断が出ています。ASDは学説によると父親由来との事なのですが、今回の調査対象は私の父親の父親の父親にあたる曾祖父です。
その曾祖父は元々東京に住んでいた事が戸籍謄本調べで分かっています。そこからはるか遠く極寒の樺太に移住し、銭湯を営み、子供(私の祖父)を育て、1945年の終戦間際、ソ連の占領を逃れるために北海道の紋別まで逃げ延びた…という流れなのですが、「樺太に入植する」というあたりにASD気質を感じます。普通行く??寒いよ??生前の曾祖父と話してみたかったです。(エンデに行こう)
余談:以前、紋別市のふるさと納税でオホーツク海の流氷を送ってもらった事があります。当時はノリで注文しただけですが、今回の先祖調査を通して先祖が紋別に住んでいた事が分かったりと不思議な縁を感じました。流氷は溶けていく姿が趣深くて良かったです。